まったくその通り

難読名と偏差値 (iza)
新聞では、多数派読者を敵に回したり、不快にさせるような話は書けない。それをあえて書きますから、該当する方は、これは自分のことではない、ほかの誰かのことだと思って読んでください。
私は複数の大学で講師を務めている。毎年学生名簿を見るたびに、読めない名前が増えたなと思う。特に女子名。子(こ)や枝(え)で終わる読みやすい名前が少なくなり、画数が多く無理読みの漢字を使った名前が多くなった。暴走族のグループ名に多い方式なので、私は「暴走万葉仮名」と呼んでいる。
まあ、娘にどんな名前をつけようと親の自由ではあるのだが、面白いことに気づいた。暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね。難関の某国立医大の教授である友人にその話をすると、うん、うちの女子学生に暴走万葉仮名はまずないな、と言う。超高学歴者ばかりの某有名全国紙の女性記者(子がつく)に同じ話をすると、ああそう言われてみればと、同僚たちの名前を思い起こしてくれた。やはり暴走万葉仮名の女性記者はほとんどいませんね、と言う。
私は、俗流伝統主義者と違って、子のつく女子名は日本の良き伝統だと言いたいのではない。庶民の女子名に子をつけるようになったのは、明治半ば過ぎ、すなわち二十世紀に入ってからだ。皇族華族の女子名に子がつくのに憧れたのだ。その憧れの是非は今論じない。ともかくも「目標」があった。一方、昨今の暴走万葉仮名の女子名はどうか。独自性・独創性(ホントに独自・独創かどうかはともかく)の追求の果ての「俺様(おれさま)化」である。むろん実績の伴う俺様ならけっこうだが、そうでないことを私は体験的に知ったのだ。
三浦展下流社会』で下流の指標の一つとして「自分らしく生きる」が挙げられているが、暴走万葉仮名にもその「自分らしさ」が感じられてならない。(評論家・呉智英
引用元

暴走万葉仮名」というのは上手い言い方ですね。さすが呉智英氏。
子供の命名時、私が提示した最低条件は「外国風()はダメ」「当て字で読み難いの()はダメ」でした。理由は簡単、「そういう名前をつけたがる親はバカだから」です。普通に読めなきゃね、将来また年金システムに変更があったら「なにこの名前? なんて読むの? えぇ? 面倒だから後回しにするか」と払っているのに空白期間にされちゃうなど、不利益も容易に想定できますし。
当然、読みを訊ねられたことは一度もない。