ビックリした

佐藤  (略)昨年(二〇〇八年)「週間金曜日」で土井たか子さんと対談をしました。面白かったことが、二点あるんです。一つめ、彼女は「八月革命説」を取らない、と。

立花  現行憲法が制定されたとき、主権が天皇から国民へ移行した。主権の所在が変わった以上、それは革命と解釈されるべきで、ポツダム宣言を受諾した一九四五年八月、日本に革命が起こったとする説ですね。憲法学者宮沢俊義が提唱しました。

佐藤  土井さんはその説は取らないんです。国会で改正手続きを経て制定されているので、現行憲法は欽定憲法であり、現行憲法大日本帝国憲法は連続しているという認識を彼女はもっているんです。
 もう一つ。彼女は九条護憲論は取らない。一条から八条までも含めた、すなわち象徴天皇制を含めた護憲論の立場です。「私は共和制論者じゃありません。社会主義者だと思ったこともない」と言うんです。

立花  なるほど。それで土井さんの土性骨の強さがわかりますね。あれは社会主義者の土性骨じゃないんだ。現行憲法と大日本憲法は連続しているというのは、手続上もその通りで、全体の骨格もほぼつながっている。だから、美濃部達吉は、貴族院議員として、昭和憲法を議するにあたって、大日本帝国憲法を改正する必要なしとの主張をたった一人で断固として曲げなかった。解釈と運用だけで、大日本帝国憲法は新憲法と同じ内容がもともと盛りこめるようになっており、それで十分だし、そのほうがベターとの主張だった。
 天皇制が新憲法の二大柱というのもその通りで、僕の憲法論(「私の護憲論」「月刊現代」(二〇〇七年七月号から二〇〇九年一月号まで連載)もその線で書いています。ただ象徴天皇制は「国民の総意制」といいかえてもいいんですが、これは、「国民の総意」によっては共和制に移行することも可能にする制度と読めますから、永久天皇制というわけではない。ではいずれ共和制(選挙による大統領制など)に移行したほうがいいのかといったら、僕は必ずしもそう考えません。選挙による大統領制があったとして、これまでの政治家で誰が文句なく圧倒的な票を集め得たかと考えると、たとえば田中角栄であり、小泉純一郎ですよ。どちらも僕はいやですね。天皇制下の総理大臣になるぐらいは仕方ないとして、純粋な国家のシンボルにだけはなってほしくないですね。天皇制があってよかったですよ。

佐藤  土井さんの元政策秘書で、秘書給与流用疑惑で逮捕された五島昌子さんが言ってたんです。衆議院議長宮中行事に参加するのですが、土井さんが議長になったとき、天皇に会いに行くことが楽しくてしょうがない様子だったそうです。「それだから大変なのよ」と言うわけです。それで周りの人たちがみんな文句をつけた。そんな調子で宮中行事に参加していいのかって。すると土井さん「私、田畑忍先生に相談する」と電話をかけた。田畑さんは土井さんの同志社大学法学部時代の指導教授で、尊王家です。「田畑先生が天皇の関係のことをいろいろやるのは別に問題ないと言ったから、私、行く」とか意味不明なことを言って、宮中行事に行ったそうです。
 日本社会党における彼女の歴史的な役割とは、本人が意識していたかどうかは別にして、結果として、労農派マルクス主義があれだけ強かった党を非マルクス主義的な右翼社会民主主義政党にしたことなんです。つまり社会党の右旋回です。社会主義勢力、革命勢力がマージナルなところに追いやられた現在の状況は、彼女の個性によってつくられた部分が大きいと思うんですよね。
 「なんで今までそのことを言わなかったんですか?」と訊いてみたんです。そしたら、「だって、あなた以外、誰も聞かなかったじゃない」と(笑)。訊けば、答えていたんですよ。
 彼女に対するインタビュー、オーラル・ヒストリーの取り方がいかにステレオパターン化していたかということです。予測できることを訊いて、予測したとおり、「ダメなものはダメ。絶対護憲です」という答えが引き出される。それが金太郎飴のように繰り返されることによって「土井たか子」という商品が成り立っていたんです。

立花  そこに「バカの壁」がある、と。

佐藤  そうです。それから「同志社の法学部に来て弁護士になろうとしたのは、人権ということで?」とも尋ねたんです。そしたら土井さんは、「ううん、そういうのは全然なかったの。京極の映画館で「若き日の(エイブラハム)リンカーン」という映画を観たら、ヘンリー・フォンダがすごくかっこよくて。それで法律を勉強して、ああいうカッコいいのになりたいと憧れて、女子専門学校から同志社に行ったの」とも言ってましたね。

ぼくらの頭脳の鍛え方」 立花隆/佐藤優 文春新書 P208〜211より

その昔、小室直樹氏が強烈に批判していたので(たとえばこれ)、てっきり市民運動につながる能天気な自称憲法学者だと思っていたのですが、いやいやいや、意外や意外、けっこうまともな人だったようです。